- 食べ物は、心を作る
- 中国料理と中華料理
- 本当のフカヒレ
- ビーフンと西太后
- 円卓どこが上席?
- 鶏煮込みそばの秘密
- なまこ
- 金華ハムって何
- エンペラーの食卓
- 麦粉食
- 別れるは安く会うは難し
- 「これでもか」と「これだけ」
- 誰から箸をつける?
- 料理屋の屋号
- お茶文化
- 箸の長さが違う
- 北京ダックは皮だけ
- 紹興酒の楽しみ
- 上海蟹について
大正から昭和の中くらいまで、中華料理と中国料理は明確に区別がありました。 特に第二次世界大戦を挟む時期は、日本には昔から財閥があり、例えば、大倉喜八郎の大倉財閥。 こういった財閥の所では「おかかえ調理人」が雇用されていました。 和食に限らず洋食や中国料理の人達も、家屋敷を与えられたりして家族でくらしていた様です。 日本は、戦前中国の一部を統治下にしていたこともあり、西太后無きあと消滅した中国宮廷の優秀な調理人も財閥のおかかえ調理人として来日させ、住み込んで後に多くの日本人に調理技法を伝えたのです。 例えば先程の大倉財閥の一部はのちにホテルオークラとなります。 または、高級料理店を開き、政財界の人達に宮廷料理「北京ダック」や「ふかひれ」など提供しお客様を迎える宴席や一族の食事会、日常の健康食として楽しませたりしました。 この流れを中国料理と呼んでいたのです。 別名「北京料理」または「ホテル系」とも呼ばれていました。○○飯店と言う屋号は、もとはホテル系と言う事です。飯店とはホテルの事です。 また、○○酒家、○○酒楼は、日本で言えば料亭のような格式を売り物にしてハイクラスな人々を対象としていたのです。
一方、戦前から日本には横浜や神戸などに定住していた中国人が生活しており、この人達は世界中で華僑と呼ばれ現在でも多く暮らしています。 この人達は大衆に根付き、家庭料理である点心(麺類やご飯、饅頭、餃子)などを主に提供し、戦後は俗に「ラーメン屋さん」と呼ばれたりしていたのです。 この流れの料理屋は、○○軒、○○亭、○○園などと言う名の店が多く、もともと日本で言う小料理屋、蕎麦屋、おでん屋といった大衆を対象とする料理屋で、この流れを華僑の店と言う事で「中華料理」と呼んでいたのです。
中国清朝時代、皇帝の食卓は美味しさと健康の為国内外の貴重な食材が宮廷に運ばれて供されてきました。 健康の基本は摂取する食べものにあると言う考え方は、インド、ヒマラヤを越えて交流の中から生まれ発展した共通の考え方があります。 医食同源という思想文化です。 その中国清朝の末期の皇帝が西太后であり、歴代皇帝ととも食事を大切にし拘った皇帝でした。 西太后時代は、外国との交易も盛んで東洋、西洋の食材、入手と輸送が困難極限地帯などの食材も手に入る時代になっていたのです。
もう一つフカヒレを珍味にしているものが、干す技術。 乾物のテクノロジーです。 実は、中国皇帝に喜ばれていたフカヒレやナマコなどの乾物は、江戸時代の日本の重要輸出品でありました。 煮干しや鰹節など干す技術が発達していた日本で、マグロなどと一緒に獲れてしまうサメの使い道に販売ルートが開けたのです。 中国から遙か遠くの国で水揚げされ加工された乾物「魚翅」の品質が大変珍重されていたのです。 高く売れるので「魚翅」の生産技術はどんどん上がり、重要輸出品に育っていきました。 その加工工程は複雑で、更に干した「魚翅」を料理として戻す調理方法も複雑です。 水揚げされてから、口に入るまで数え切れない工程を経ているのがフカヒレつまり「魚翅」です。 「フカヒレの姿煮」に使われる最高の排翅(パイチー páichì)も日本産のヨシキリザメが現在世界最高品質です。
この「特製鶏煮込麺」を何年間もほぼ毎日食べに来られた方がいらっしゃいました。 勤務地が変わってしまわれたので、しばらく来店されませんでした。 その方が久しぶりに来店されて、このおそばをご注文されました。 思い出していらっしゃって頂ける事は、実に光栄な事です。 その方が、以前「二日酔いに効く」と言われていました。 その方だけではなく、召し上がれた多くの方が「疲れ」や「だるさ」が取れると感想を述べています。 その、理由の一つが鶏の胸肉です。 NHKのサイエンス・ゼロで紹介された運動疲労軽減に大きく作用する物質イミダゾールペプチドは、鶏肉の胸肉の部分にだけ大量に含まれているという事が報じられました。 1羽の鶏の胸肉で十分な量があると言われている、この有効物質イミダゾールペプチドが、この「特製鶏煮込麺」は特別に沢山入っています。
金華ハムは中国語で「金華火腿(ホートイ)」。中国は上海近くの金華地区で造られるハム で、パルマハム(イタリア)、ハモンセラーノ(スペイン)と並ぶ、世界三大ハムのひとつです。 金華火腿(ヂンホアフオトェイ)とは、中国・浙江省の金華地区で生産されることからそう呼ばれています。
紹興酒は、文字どおり中華人民共和国の紹興(上海の南西、東海にのぞむ水都)で作られている数千年の歴史を誇る銘酒です。 中国では醸造酒を黄酒といいますが紹興は日本酒で言えば灘、ワインでいえばブルゴーニュに似た一大酒造産地なのです。 紹興酒は1953年に中国八大銘酒に選ばれています。 ですので紹興酒という限りは少なくとも紹興で作られていなければなりません。 紹興の工場のなかでも紹興酒という名前が許されているのは多くありません。 台湾紹興酒というのもありますが現在では姿を消しつつあります。 また福建・上海などの黄酒も有名です。 福建と紹興の黄酒は東西の横綱と言われるくらいです。
日本だと中国酒というと紹興酒ですが、 中国ではむしろ蒸留酒(白酒・・スピリッツ、ウオッカ系)がポピュラーです。
紹興酒はそのままか温燗で飲むのが美味しいとされています。 日本ではオンザロックで飲む人も多いのですが地元では冷やして飲む習慣はありません。
また老酒と紹興酒はどうちがうのかとよく聞かれますが、老酒は年代物とか上等のといった意味を含み、本来は紹興酒と限らず年代物の美酒・銘酒を言うのですが、多年熟成された紹興酒が老酒のなかの老酒であることに間違いはありません。
紹興には一家に女の子が生まれたらお嫁に行くまでかめに入った紹興酒を埋めておく風習があり、結構式で花嫁側からふるまわれる酒で十年から二十年寝かされるこの紹興酒を女児酒といいます。 現在ではブランド名となって輸出されています。
紹興酒は、昔は防腐剤が入ってなかったので(今でも無添加のはありますが)条件が悪いと酸化、いわゆる酢になっていきます。 紹興酒の良い酒は甘いので良いのですが、管理の悪い紹興酒はすっぱいため砂糖を入れ甘くして飲んでいました。 砂糖を入れて飲むと言うのはかなり昔の習慣で、甘くしないと飲めないほど発酵しすぎた悪い酒だという意味でした。 現代ではワインや日本酒と同じように酸化してしまう酒は極わずかになりました。
また日本ではレモンを入れて召し上がる方が多いのですが、本国では酸味を加えたりする習慣はないようです。
しかし、食物には肉体に及ぼす影響だけで無く精神にも大きな影響を与える。 例えば、分かりやすいところではアルコールやカフェイン、極端に言えば覚醒剤や睡眠薬、抗うつ薬のように摂取する物質は強く精神に影響を与える。 そういう観点から料理を見る人は少ないのではないでしょうか。
香り(嗅覚)、見た目(視覚)、BGM(聴覚)、味覚、触感、それらすべての感覚を通して心は変化し、体内に入った物質によっても影響を受けています。 毒性があったりする強い精神作用のものだけが知られていますが、普通の食物である生姜やゆず、胡瓜やトマト、お米や、発酵食品なども少なからず精神に影響を与え、私達は気がつかないうちに食べ物によって気分を変えられています。